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動けなくなるほど疲れる前に、心の中で起きていること。

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ある日、疲れの質が変わったことに気づく

最初は、ただの疲れだった。
忙しかったから。気を使ったから。
そう説明できるうちは、まだよかった。

でもある時から、疲れ方が変わったことに気づく。
体を休めても戻らない。
何もしていない時間があっても、回復しない。

「もう限界」というほどではない。
けれど、「元気」と呼べる状態からは、確実に遠ざかっている。

その違和感を、うまく言葉にできないまま、
日常だけが続いていく。

疲れが溜まる前に、感情が置き去りにされている

動けなくなるほどの疲れは、
突然やってくるように見える。

でも本当は、その前段階がある。

言いたかったことを飲み込んだ瞬間。
違和感を感じたのに、気のせいにした場面。
怒りが立ち上がる前に、自分を納得させた夜。

そういう小さな選択が、毎日少しずつ積み重なっている。

感情を抑える癖がある人ほど、
その積み重ねに気づかない。

以前書いた
「感情を抑える癖が抜けない理由」
でも触れたけれど、
抑えることは、身を守るための反応だった。

だからやめられないし、
やめようとも思わない。

ただ、感情を感じないようにする代わりに、
心は静かに消耗していく。

疲れとして現れる「感じなかったもの」

感じなかった怒り。
言えなかった不満。
期待してはいけないと思った気持ち。

それらは消えない。
ただ、形を変える。

眠気でもなく、痛みでもない、
説明できない重さとして残る。

「何もしていないのに疲れる」
その感覚は、
何も感じなかったわけじゃない、という証拠でもある。

感じる前に止めただけ。
外に出さなかっただけ。

以前の
「我慢が癖になってしまった人の内側」
で書いたように、
我慢が習慣になると、限界の位置がわからなくなる。

だから、疲れ切るまで動いてしまう。

動けなくなるのは、壊れたからじゃない

動けなくなると、
「もうダメだ」と思ってしまう人が多い。

でもそれは、壊れたサインじゃない。

これ以上、抑え続けるのが難しくなっただけだ。

心がサボったわけでも、
弱くなったわけでもない。

ずっと緊張していたものが、
一度、力を抜こうとしているだけかもしれない。

疲れは、怠けの証明じゃない。
ここまで耐えてきた痕跡だ。

今日は、立て直そうとしなくていい

この段階で、
前向きになろうとしなくていい。
原因を完璧に理解しなくていい。

「最近、疲れの質が違う」
それに気づけたなら、それで十分だ。

回復は、分析の先にあるものじゃない。
まずは、感じなかったものがあったと認めるところから始まる。

今日はただ、
無理に動かず、
無理に意味をつけず、
その重さを追い払わないでいてほしい。

次の記事では、
この疲れと自己嫌悪がどう結びつくのか、
もう少しだけ深いところを扱っている。

今は、ここまででいい。

皆さんの毎日が少しでも明るくなりますように。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

音に疲れやすい自分が、毎日を少し楽にするために選んだもの