仕事でも、作業でも、
「今日はちゃんとやるぞ」と思った日は
なぜかすぐ気が散ってしまう。
机に向かっているのに、
手が止まって、
スマホを見て、
なんとなく窓の外を眺めてしまう。
そして気づく。
「結局、たいしたことしてないのに、もう夕方?」
そんな日の連続が、いつの間にか普通になっていました。
目次
“やる気”のせいじゃない、と気づいた瞬間
最初は自分の意志ややる気の問題だと思っていました。
・集中力が足りない
・気合がない
・根性がない
そんな言葉が頭をぐるぐるして、
そのせいで余計にスッとしない気分になっていました。
でも、ある日のこと。
ふと
「これって、
心が重い感じと同じなんじゃないか?」
と思ったんです。
心が重い日は、
立ち止まるだけでしんどい。
同じように、
集中できない日は、
何かが“そこにある”だけで心が散っていく。
この直感が、あとで大事になる気がしました。
勉強でも仕事でもない“日常の集中”
集中というと、
勉強・仕事・作業だけを思い浮かべがちです。
でも日常にも集中ってあります。
・テレビを見ている時
・料理をしている時
・会話をしている時
・歩いている時
ふと気づくと、
脳は常に何かを“処理”していて、
そこに余計な刺激が入ると
途端に流れが切れてしまう。
それは決して
「意志が弱い」のせいじゃない。
ただ、
背景にある“情報の洪水”に慣れているだけ
なんじゃないかと思うようになりました。
心がふわっとする瞬間が、ヒントだった
ある日、
ふいに手が止まって、
何も考えずに空を見る時間がありました。
そのとき、
「集中するって、“何かを止めること”なのかも」
と、ふと思った。
止める対象は勉強でも仕事でもなくて、
心の中のザワザワ。
音、色、視線、思考の連続。
それらを、
一時的にやさしく休ませる時間。
それが本当の“集中”の入り口なんじゃないかと気づいたのです。
体が緩んだら、心も緩む
集中するために必要なのは、
気合でも覚悟でもありませんでした。
身体が緩んで、
環境がふっと静かになる瞬間。
呼吸がちょっと落ち着いた時、
腰の位置がしっくり来た時、
目線が一点に向かった時。
そんなささやかな“静けさ”が、
心のざわつきを一段下げてくれている。
そう気づいてから、
集中の入り口が変わった気がします。
“静けさ”は、寝ている時間にも続いていた
そしてあるとき、
寝つきが悪い夜も、
集中が切れる日も、
結局 “体の緩み” と
“環境の静けさ” が
つながっていることに気づきました。
横になっても、
頭の中で細かな音や情報を処理していると、
体は本当に休めませんでした。
逆に、
体がしっかり受け止めてくれる場所にいると、
集中する時も、眠る時も
自分のなかで静けさが広がったのです。
眠る時間も、集中の入口になる
だから僕は最近、
「寝ること」をただ時間の延長じゃなくて、
心をリセットする時間
だと考えるようになりました。
眠り始めの“心地よい緩み”が、
次の朝の集中の土台になる。
そんな感覚です。
そんな僕が最近気づいたこと
静けさって、
別に劇的な変化じゃない。
大きな音を消すことでもない。
ただ、
余計な刺激をひとつずつ減らしていったら、
長い目で見れば心も体も楽になる。
そのために僕が選んだものがあります。
環境だけじゃなく、
体の入り口にも近いものです。
それについて詳しく書いています。
おわりに
集中が続かない日も、
眠れない夜も、
決して“弱さ”のせいじゃない。
その背景には、
静けさを取り戻すためのステップがある。
それを知っているだけで、
心の重さは少し軽くなる。
あなたの毎日が、
少し楽になりますように。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました。
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