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我慢が癖になってしまった人の内側

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我慢が癖になってしまった人は、自分が我慢していることに気づいていない。
それは性格でも根性でもなく、長い時間をかけて身についた“反応”に近い。

何か違和感があっても、まず考えるのは「自分が悪いのかもしれない」という可能性だ。
相手の事情、場の空気、今は言うべきじゃない理由。
そうしたものを一瞬で並べて、感情を引っ込める判断が、無意識にできてしまう。

たとえば、何気ない一言に引っかかったとき。
胸の奥が少しだけざわつく。
でもその感覚を掘り下げる前に、「気にしすぎだよな」と自分に言い聞かせる。
そうやって感情は、いつも途中で中断される。

我慢が癖になると、「本当はどう思ったか」がわからなくなる。
嫌だったのか、悲しかったのか、怒りたかったのか。
そのどれかだったはずなのに、確認する前に蓋をしてしまうから、感情の名前が失われていく。

残るのは、理由のはっきりしない疲れだけだ。

我慢できる人は、周囲から見ると安定している。
空気を読めて、衝突も少なく、頼りになる。
だから「大丈夫な人」として扱われることが多い。

でも内側では、ずっと小さな緊張が続いている。
言いたいことを探してはやめ、期待しては引っ込める。
その積み重ねで、心は休むタイミングを失っていく。

本当は限界に近づいているのに、
「まだ我慢できる」「もっと大変な人もいる」と自分を説得してしまう。
苦しさを測る基準が、いつの間にか自分には厳しすぎるものになっている。

ある日、特別な出来事が引き金になることもある。
ほんの小さな指摘や、いつも通りの一言。
それだけで、急に何もかもが重く感じられる。

でもそれは突然壊れたわけじゃない。
感じないふりを続けてきた感情が、ようやく浮かび上がっただけだ。

我慢が癖になった人の内側には、
本当はたくさんの感情が置き去りにされている。
怒りも、悲しみも、期待も、全部きちんと存在していた。

それらを無理に整理しなくてもいい。
今すぐ答えを出さなくてもいい。
ただ、「感じてこなかった何かがあった」と気づくだけで、少し違う。

我慢し続けてきた時間は、消えない。
でもその時間があったからこそ、ここまで生きてこられたのも事実だ。

今日はただ、立ち止まってもいい。
何も改善しなくていい。
言葉にならない感覚を、追い払わずに置いておくだけでいい。

皆さんの毎日が少しでも明るくなりますように。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

音に疲れやすい自分が、毎日を少し楽にするために選んだもの