人より疲れやすい理由が、ずっと分からなかった
同じ一日を過ごしているはずなのに、
なぜか自分だけ、やたらと疲れている。
仕事が特別に忙しいわけでもない。
嫌なことがあったわけでもない。
それなのに、夕方になると頭が重くなって、何も考えたくなくなる。
昔はそれを「気合が足りない」とか
「自分は要領が悪いんだろうな」と思っていました。
でも、ある時ふと気づきました。
自分は、普通に生活しているだけで、かなりの情報を受け取っているんだな、と。
何気ない日常が、ずっと刺激の連続だった
人と話しているとき、
相手の言葉だけでなく、声のトーン、表情、間の取り方まで気になってしまう。
今の言い方、変じゃなかったかな。
相手、ちょっと不機嫌そうじゃないかな。
この話、続けていいのかな。
そんなことを考えながら話していると、
会話が終わる頃には、どっと疲れている。
買い物に行けば、音や光、人の動きが一気に押し寄せてくる。
一つ一つは小さなことなのに、積み重なると、頭がいっぱいになる。
自分では「普通にしているつもり」でも、
実はずっと、アクセルを踏みっぱなしだったのかもしれません。
うまくできない自分を、責める癖
うまく話せなかった日。
タイミングを外した一言。
あとから思い出して、何度も頭の中で再生してしまう。
なんであんな言い方をしたんだろう。
もう少し違う対応ができたんじゃないか。
反省しているつもりが、
いつの間にか、自分を責める時間になっている。
でも最近は、少し考え方が変わってきました。
「できなかった」のではなく、
「そもそも負荷が大きかっただけなんじゃないか」と。
無理を減らすと、生活は少し静かになる
すべてを頑張ろうとしない。
全部にちゃんと反応しようとしない。
疲れているときは、人と距離を取る。
考えすぎていると気づいたら、一度止まる。
それだけで、生活の音量が少し下がる気がします。
前より立派になったわけでも、
急に強くなったわけでもありません。
ただ、自分の特性を、
「直すもの」ではなく
「扱い方を工夫するもの」と思えるようになってきました。
分からなくても、生きていける
自分が何者なのか、はっきり説明できなくてもいい。
人と同じようにできないことがあってもいい。
うまくいかない理由が、言葉にならない日もある。
それでも、今日をやり過ごしてきた事実は変わりません。
この文章も、
誰かに説明するためというより、
自分自身に向けて書いているのかもしれません。
生きていく意味はわからないけど、
少しでも気を楽に楽しく生きれるように、と言い聞かせてみます。
皆さんの毎日が少しでも明るくなりますように。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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